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中野良彦先生のご退職祝賀会を開催しました

厳しい冬の寒さがやわらぎ、春の兆しが感じられる3月1日、大阪大学中之島センターにて、中野良彦先生の最終講義・ご退職祝賀会が開催されました。教え子たちのほか、研究室のOB・OGの方々、ケニアでの発掘調査にかかわったみなさまが全国より集まり、大変賑やかな会となりました。会の様子については、こちらをご覧ください。


この記事では、大変僭越ながら、中野先生への個人的な感謝の言葉を、設樂が一筆綴らせていただきます。


「求めよ、さらば与えられん」という言葉があります。これは新約聖書「マタイ伝」にある一節で、「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」という意味です。転じて、物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事だということを意味します。教え子のひとりとして、私が先生との付き合いを振り返ってみると、これより適切な言葉が浮かびません。


研究者の教育方針は、しばしば「自由放任型」と「徹底管理型」に分けられて語られることがありますが、先生のそれはどうなのかというと、完全に前者です。これは周りが勝手にそう言っているわけではなく、ご自身もまた認められています。事実、私が研究室に配属されてから、今日にいたるまでの約10年間、研究に関して「これをやりなさい・あれをやりなさい」と言われたことは一度たりともありません。大学院に進学したときに、ただ一言、「自由にやりなさい」と言われたことが頭に残っています。自由というのは確かに耳ざわりのいい言葉ですが、その背後に「責任」の二文字が隠れています。つまり、予想していた成果が出なかったとき、予定が崩れたとき、その責任を負うことが求められます。先生は、学生を「一人の独立した大人」として扱い、研究の計画・立案・実行に大きな裁量を与えました。研究が思うように進まないとき、時に試行錯誤し、時に先人に意見を求め、時に挫折し、もがき苦しむ中で、自ら学び成長することを学生に求めました。そういう意味で、先生の教育方針は、一切の甘えや責任逃れを許さない、とても厳しいものでした。


しかし、先生さりとて人の子、救いの手は差し伸べてくれます。学部2回の研究室配属直後、暇すぎる春休みを前にして、「人類学の入門書、何かありますか?」と先生の居室を訪ねたとき、嫌な顔一つせず、「これはいい本だけど英語だし…これは簡単すぎるし…ではこれはどうかな?」と、親身に新書を一冊選んで貸していただいたことを覚えています。振り返ってみれば、これが研究の道に足を踏み入れた瞬間だったように思います。このとき本を借りに行かなければ、知を「求め」に行かなければ、人類学にも研究にも惹かれず、ふつうに学部を卒業して就職していたかもしれません。私が何かを求めたとき、それは設備だったり、意見だったり、研究発表の機会だったり、まちまちだったわけですが、先生はいつでもそれらを与えてくださいました。今となって思えば、何不自由なく研究できるように環境を整えてくださったことは、子が何不自由なく生きて行けるよう守り育てる、ある種の親心に通じるところがあるように感じます。


先生は厳しくも優しく、学生自らが成長する過程を、辛抱強く見守り、支えてこられました。自分がイメージする研究デザインを実現できる場に身を置けたことは何事にも代えがたい経験ですし、そのような環境を整え守り抜いてこられた、先生の愛あるご指導には頭が上がりません。先生、長い間、お疲れさまでございました。そして、ありがとうございました。これからもどうぞお体には気を付けて、ご健康にお過ごしくださいませ。




 

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